独立希望者必見!個人店オーナーからの熱いメッセージ
徳うち山
店主 工藤 淳也
食の大切さ、素晴らしさを伝える仕事、
それを担う一人であることを自覚しました。
工藤 淳也(Junya Kudo)
1978年、山形県生まれ。高校の調理科で学びながら、叔父が営む小料理店を手伝う。上京後、「日本橋 とよだ」で4年間修業を積む。ドイツの日本料理店、イタリア料理店などで見識を広めた後、「銀座 うち山」に勤務。2011年8月に暖簾分けして「徳うち山」を開店。
2015年5月掲載
旨みを凝縮して一口で美味しい 時代が求める現代的な日本料理
ミシュランで高評価を受ける「銀座 うち山」から初の暖簾分けを許された店と聞けば、思い描くのは正統派の日本料理。頑なに味を守り抜くというイメージだが、工藤氏の手がける料理はそんな思い込みを鮮やかに裏切ってくれる。「徳うち山」の打ち出すコンセプトは明確だ。
「素材の旨みをぐっと凝縮させた、一口で美味しい料理です。フレンチやイタリアンにも負けない、しっかりとした味わいを持たせています。昔ながらの和食はしみじみと美味しいものですが、一口食べて美味しいとはならないですよね。旨みに慣れた現代人にはもの足りなかったり、お腹がいっぱいにならないと思われがちです。昔と同じことをしていても仕方がないでしょう。創作料理という意味ではなく、時代が求める現代的な日本料理を追求しています」
自在な発想と確かな技で、創意あふれる斬新なひと皿をつくり上げる。「フレンチと変わらない感覚で調理しているんですよ」とも。工藤氏の懐の深さは、これまでの豊かなキャリアに裏打ちされている。
幼い頃から料理が好きで、高校では調理科専攻。日本橋の料亭で4年間修業を積んだ後、ドイツの日本料理店で働くという貴重な経験を得る。
「日本の食材が手に入らないので地元のものをどう活かすか、どうすればドイツ人の口に合うのかを考えながら、料理をつくることができました。それまでキツいだけの仕事だったのが、目の前のお客様に『美味しい』と言っていただけるのもうれしくて、仕事が楽しくなってきました」
帰国後、「もっといろいろなものを吸収したい」という想いから、日本料理をはじめ、居酒屋からフレンチまで職場を転々と移り、イタリアンではシェフの経験も。暖簾分けの話が持ち込まれたときにも、湯島の小料理屋で料理長を務めていた。
「独立したいという気持ちはあったのですが、こぢんまりとした店で気楽だし、このままでもいいかなと考えていました。そこに、いい物件が出たという話を内山さんからいただきました。『そろそろ本筋に戻ったほうがいいんじゃないか』と言われ、その通りだなと決意しました」
暖簾分けの葛藤を乗り越えて
次なる課題は人材の確保と育成
開店当初から「徳うち山」は注目を集めた。数々のメディアに取りあげられ、とりたてて集客に苦心することもなかった。それでも、工藤氏の心中には常に葛藤があったという。
「初めは『うち山』のお客様が多く、『あっちのお店にある料理が、どうしてこっちのお店にはないんだ』と比べられたりもしました。名前をいただいたのですから、比較されるのは当たり前です。定めのようなもので、恩恵も受けていました。でも、『向こうが満席だから来た』と言われると、この店じゃなくてもいいんじゃないかと思ってしまう。付き合いでいらしたお客様に2回目はありません。結局、『うち山』に戻っていく。それなら、気をつかうのはやめて、自分のつくりたいものをつくろうと決めました」
数ヶ月のうちに完全に切り替え、本家『うち山』と同じメニューは名物の2品だけ。肉料理も取り入れるなど、自分の流儀を貫いていった。
「不安な想いもありましたが、自分の考えを料理に反映させて、徐々に売上を伸ばしていきました。今では好きなことをやって、評価をいただいているのはうれしく思います」
銀座に集う美食家を唸らせる工藤氏の感性が光る料理は多くの人々の支持を集め、たちまち人気店へと成長。経営も安定するが、一方で人材の確保という課題があった。
「もともと人を育てるのが得意ではなくて、教えるより自分でやったほうが早いと考えてしまうんですよ。人が続かなかったら、その分、自分が動けばいいだろうと。こういう考え方を改めなければならないと、いつも思っていたのですが……」
昨年9月、無理がたたって、ついに工藤氏はダウン。腰を痛めて動くこともできなくなってしまった。
「人がいなくなったらどんなに大変か。体が動かなくなり、改めて人の大切さがわかりました。それまでは紹介だけだったのが、初めて求人広告も出しました。以前は店を4人で回していたのが、今では7人の体制になっています。ゆくゆくは、自分がいなくても回る店にしていきたい。そのためにも、人材の育成に力を注ぎたいと思っています」
柳舘氏が考えるオーナーシェフの心得
01 「やりたいことをやってるか?」を問う
02 探究心、向上心
03 謙虚に、人とつながること
超高齢社会も追い風にしてオリンピックまでに店舗拡大を
人材の大切さへの気づきだけではなく、病気で倒れたことは工藤氏にとって大きな転機となり、いろいろな変化をもたらしてくれたようだ。
「実は、腰以外にも健康診断で引っかかっていたんです。浴びるように酒を飲み、食べたいものを食べる、病気になって当然の生活でしたから。こういう仕事をしていながら、恥ずかしいことですよね。そんな食生活を見直しただけで、運動もせずに、たった3ヶ月で15キロ痩せたんですよ。食の大切さを身をもって知りました。食の大切さ、素晴らしさを伝えなければ。自分はそれを担う一人なんだという自覚が生まれました」
ヘルシーフードとして、世界的に人気が高まっている日本料理。超高齢社会も追い風になるにちがいない。
「日本人のDNAは草食なんです。自分自身もそうですが、若いときは欧米型の食生活でよくても、年をとると受けつけなくなる。高齢のお客様の需要がたくさんあり、外国人の観光客も増えているというのに、日本料理をやりたい若者がいなくなっているのは本当に皮肉ですよね」
日本料理の担い手が減り続ける状況を工藤氏は案じる。ただ、嘆いているばかりではない。現在のスタッフのうち、3人はフレンチ出身。自らもさまざまな経験をしてきたからこその柔軟な思考で人を迎え入れ、新たな風を吹き込もうとしている。
「まずは人を育てて、2年後にもう1店舗。そして、2020年のオリンピックまでには3店舗にしたいと考えています。日本料理のアッパーな店と、東京にはまだない本格的な肉割烹、彼らが力を発揮できる板前目線のフレンチもいいですね」
徳うち山
住 所:東京都中央区銀座3-12-9
電 話:03-3545-1091
定休日:日曜・祝日
時 間:11:30~14:00(L.O.12:30)
18:00~22:00(L.O.20:00)
交 通:地下鉄各線「東銀座駅」より徒歩3分
文:西田 知子 写真:ボクダ 茂
2015年05月21日 掲載