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独立希望者必見!個人店オーナーからの熱いメッセージ

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匠 村瀨

店主 村瀨 信行

今はまだ親方修業中。日々、学ばせてもらっています。

今はまだ親方修業中。

村瀨 信行(Nobuyuki Murase)

1973年、長野県生まれ。高校を中退して、寿司職人を目指して上京。以来、都内各地の寿司店を渡り歩いて修業を重ね、”技”を追求する。四谷の名店「すし匠」より「匠」の名前を受け継ぎ、昨年9月、六本木に「匠 村瀨」をオープンする。

2015年11月掲載

手間を惜しまず真心をこめて 江戸前鮨の原点に立ち戻る

 六本木の地に店を構えてから1年あまり。たちまち美食家たちの耳目を集め、「匠 村瀨」の名は広く知れわたっていった。名店「すし匠」からの暖簾分けによる独立。匠の技を受け継いだ本物の江戸前鮨を伝える店として連日、多くのお客様でにぎわっている。

「こうして店を営んでいけるのは、従業員をはじめ、周りに支えてくれる人たちがいるからです。『すし匠』というブランドの力もあります。看板に『匠』の一文字があるのとないのとでは、お客様の受け止め方が違ってくるでしょう。おかげさまで、立ち上げから順調にきています」

 店主の村瀨氏は世間の評判に惑うことなく、どこまでも謙虚な姿勢を崩さない。それでいて、江戸前鮨について語る言葉つきからは胸に秘めたプライドと熱い想いが伝わってくる。「店のコンセプトは?」の問いかけに、すぐさま「シャリに合わせた”上”をつくること」という答えが返ってきた。

「『すし匠』の中澤親方の流れを受け継ぎ、鮨とつまみを交互に提供したり、熟成したものには赤酢を、淡白なものには米酢を用いるなどしています。ネタの鮮度ばかりに執着するのではなく、シャリの味わいに合わせたネタをつくる。極論のように聞こえるかもしれませんが、鮨屋ですから、それがコンセプトです。フレッシュな海鮮という部分を売りにしないでひと手間ふた手間を加える。そこには技術もありますが、なにより真心がこめられています」

技だけを追い求める日々から

心の大切さを学んで独立へ

 鮨職人に求められるのは「心・技・体」。技を磨くよりまず心をきちんと整えなければならないと、村瀨氏は主張する。しかし、そう考えるに至ったのも師と仰ぐ中澤氏との出会いがきっかけ。10代、20代の頃は、ただひたすら技術の追求のみに明け暮れていた。

「当時は今のようなネット社会ではないので、その店に実際に入らなければ仕事を覚えられません。なので、自分はどこまでできるようになったのかを確認しながら、これ以上やらせてもらえないと判断したところで店を移る。自分が置かれている立場や状況、周りの評価を参考にして、自分は今、何をすべきかを考えていました」

 そうして渡り歩いた鮨店は、不義理なことをしてしまいかれこれ都内20軒にも上る。「フーテン暮らしでしたね(笑)」と村瀨氏はいくぶん自虐的なトーンで来し方を振り返るが、それも「もっと上を目指したい」という想いがあったからこそ。まだまだ漠然としたものだったが、「いつかは一国一城の主になる」という夢を抱きながら、つらい修業にも耐え抜いた。

「今でこそ鮨屋は食文化として認められ、そういう環境の中で料理人として育っていくことができますが、見習の頃はどうしようもない人間が板前になるものと思われていました。飲食業界は理不尽のかたまりで、それを我慢して乗り越えるのが修業でした。叱られないようにするには、どうすればいいのか。一度注意されたことは二度三度とくり返さないよう、常に意識して気を引き締めていました。でも、苦労を買って出るからこそ、ちゃんとした板前になれる。お天道様は見ているので、必ずご褒美がもらえると信じていました」

 貪欲に技を追い求め、極め続けた村瀨氏は、30代で銀座の店を任されるまでに。将来の独立を見据え、それまで全く縁のなかった読書にも励むようになっていった。

 そして、38才のときに四谷「すし匠」へ。独立までの2年間、たくさんの貴重な教えを受けた日々が現在の礎となっている。

「技だけを求めてきて、人としてどうあるべきかなどと考えたこともなかったのが、心の勉強をさせていただきました。トップになるための条件として、第一にお客様を幸せにしなければならない。お客様も業者も従業員も家族も、すべてのバランスがとれていなければ、店はうまく回っていかないということも学びました。中澤親方はいつも真剣に、愛のある接し方をしてくださいました。だからこそ、今、自分はここにいる。中澤親方に出会っていなければ、おそらくまだ店を持つことはできなかったでしょう」

村瀨氏が考える店主としての心得

村瀨氏が考える店主としての心得

01 お客様を100%満足させる

02 従業員に愛をもって接する

03 明確な目標に向けて努力する

運は自分でつくるもの 忍耐なくして夢の実現はない

 常々「41、42才までには何らかの形をつくりたい」と未来を思い描いていた村瀨氏は、その通りに現実を引き寄せて具現化。41才で独立開業を果たした。「たまたま運が良かっただけ」と語るが、無論それだけではないだろう。

「この世界で成功するには、何年後にこうなるんだという明確な目標を持つことです。そして、頭の中に描いたビジョンに対して、自分から行動を起こす。時代の流れや巡り合わせなどもありますが、運は自分でつくるものです。ただし、攻め時ではない、今は耐えるときだという場合もあります。目標を達成するには、我慢が必要。楽な道を選んで成功した人なんて、1人もいないでしょう。忍耐なくして夢の実現はありません」

 では、この次の展開は? また新たなビジョンを描いているにちがいないと問いかけたが、先々の夢を語る段階ではないとのこと。

「今があっての1年後、2年後ですから、自分の身の丈に合わせて、まずは確実に基盤づくりをしたいと考えています。目標は、日々一生懸命であること。自分自身ももっと成長していかなければ」

 確かな基盤を築き上げるためにはまだまだ課題も多い。スタッフとの関わり方や人材育成もその1つ。店主ならではの骨折りではあるが、苦労に感じることはないという。村瀨氏は毅然として、ひたむきに前を見つめ続けている。

「スタッフのモチベーションを上げられないのは、自分が親方としてできていないから。いらだちを感じることがあれば、それは自分の心の足りない部分です。あの店で働きたいと思われるような魅力のある店にしたいと思っています。今は、まだ親方修業中。日々、学ばせてもらっています」

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匠 村瀨

住 所:東京都港区西麻布1-2-3 アクティブ六本木

電 話:03-3479-5240

時 間:11:30~13:30(木・日はランチ休業)
18:00~23:00

定休日:月曜日

交 通:地下鉄各線「六本木駅」より徒歩3分

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文:西田 知子 写真:yama

2015年11月19日 掲載

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