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独立希望者必見!個人店オーナーからの熱いメッセージ

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銀座 くろ寿

店主 黒須 法明

“明日の一貫”を握るため、 今日もお客様を笑顔にして帰す

黒須 法明(Noriaki Kurosu)

1973年、茨城県生まれ。5才の頃、作ったホットケーキを母親に褒められたことがきっかけで料理に目覚める。高校の調理科を卒業後、「銀座 久兵衛」にて寿司修業を開始。その後、日本料理店の「乃木坂 神谷」、居酒屋の「独楽」、寿司店の「銀座 凛」などを経て、2008年「銀座 くろ寿」を開業し独立。

2019年5月掲載

寿司を通じて笑顔になれる 11年続く銀座の名店

銀座のランドマークのひとつとして知られる交詢ビルの向かい、雑居ビル2階に佇む「銀座 くろ寿」。大将の黒須法明氏が握る寿司が楽しめるお店だ。創業から11年経った今もなお銀座の隠れた名店として愛され続け、著名人を含む多くのリピーターが集う。ここで食事をした人は皆、笑顔になって帰っていく。「寿司を通してお客様の笑顔のお手伝いを」、それこそが、黒須氏のモットー。その小柄な身体からは溢れんばかりのパワフルさと、底抜けの明るさを持ち合わせる黒須氏だ。

「寿司店だったら、ネタやシャリ、握りなどについてはどこの店にもこだわりがあるのは当たり前。そのうえで当店が大切にしているのが、お客様を笑顔で帰すこと。これが一番の使命だと考えています」

茨城県結城市に生まれた黒須氏。5才の頃、見様見真似で作ったホットケーキが黒須氏の料理の原体験だ。 「私が作った不格好なホットケーキに対しても、母が『おいしいね』という言葉を掛けてくれたことが何よりうれしかった。家は石材業を営んでいたので、忙しい母を助けたいと、小学生ながらごはんを炊いたり、お茶を淹れたり、箸を並べたりと家事の手伝いをするのが日課になっていました。そうするうちに、自然と『将来はコックになる』という思いが芽生えていきました」

中学生の頃には、すでに料理人になるという意思は固かった。 「勉強は得意ではなかったし、中学を出たら本当はすぐにでも料理人の修業に出たかった。ですが、両親からは『今時、高校くらいは出ておきなさい』と言われました。ですが私の成績では入れる高校があるのかすら危うい状況(笑)。そんな中、宇都宮短期大学附属高校に、調理科という学科があることを見つけました。ここだ! と思って、それから猛勉強、無事入学することができました」

高校で出会った恩師に、「宇都宮で店をやりたい」と相談したところ、「海なし県である栃木で開業するなら、魚料理が良いのでは」という返答。加えて、高校時代は地元の寿司店でアルバイトをしていたことから、寿司職人になることを決意。紹介されたのが、名店『銀座 久兵衛』だ。

「アルバイト先の大将は、とても厳しい方で、『俺は27才で独立した』が口癖でした。だったら私は26才で独立してやろう、なんて生意気なことを思いました。田舎の高校生だった私は、『銀座 久兵衛』がどれほどすごい店なのかわからないままに入った。厳しい職場でしたが、1日でも早く一人前の板前になるため、毎日、がむしゃらに仕事に取り組みました」  「銀座 久兵衛」では、銀座本店からホテルオークラ内、大阪帝国ホテル内の店舗を経験。その後は、日本料理を学ぼうと、名店「乃木坂 神谷」にて修業を積んだ。

「『銀座 久兵衛』では5年、『乃木坂 神谷』では3年ほどお世話になりました。そうこうするうちに目標だった26才に。しかし、独立しようにも、資金の工面をまったく考えていなかったんです……!(笑)」

さてどうしようか、と考える中で縁あって銀座の「独楽」に。同店は客単価5000円程度の居酒屋。これまで客単価3万円程度の店で働いてきた黒須氏にとっては、また新たな糧になった。その系列の寿司店「銀座 凛」(現在は「銀座 凛 にしむら」)では店長を務めた。この期間で、黒須氏は独立への思いをより鮮明にしていったというが、そのきっかけは、なんとアメフトにあるという。

「私はアメフト観戦が趣味なのですが、『銀座 凛』で店長をしていた5年間のうちの2000年~2005年の間に、スーパーボウル(アメリカのフットボール最高峰の大会)で『ペイトリオッツ』というチームが3回優勝(2連覇を含む)を果たしました。これは大変な偉業で、当時アメフトファンは沸き立ちました。私は、そのチームのヘッドコーチ、ビル・ベリチックの手腕に感動したんです。彼は選手の活かし方が抜群にうまい。もともと80点の実力を持っていた選手を集めて、その人の適正を見極め、的確な指示を出してチームとしての力を強め、120点のパフォーマンスを発揮させた。これは当時店長として店をマネジメントしていた私にとって重なる部分があり、大きな刺激を受けました。独立して、『ペイトリオッツ』のようなチームワークを持った店を作りたい! と思いました」

来店ゼロのドン底を経験

広告費ではなく原価で勝負

2008年、「銀座 くろ寿」を開業し、晴れて独立を果たした黒須氏。今でこそ多くのリピーターに恵まれ、激戦区である銀座でも人気の寿司店となっている同店だが、オープン当初は集客に苦戦した。

「1週間お客様がゼロなんてこともありました。さすがにまずいと思ってネット広告に頼りましたがそれも芳しい効果は得られなかった。広告費を払い続けるくらいなら、マグロを無料で提供した方が、お客様が喜ぶ……そう気づき、広告を一切やめてその費用を原価に転換。お客様が来るようになったのはそこからでした」  半年を過ぎた頃から店は軌道に乗り始めた。今も変わらず広告費はゼロ。同店の来店のうち、95%はリピーターだという。この経験を乗り越えたからこそわかった黒須氏の商売哲学がある。

「最初の苦い経験があるからこそ、お客様がいらっしゃる有難みがわかる。明日の一貫を握るためには、今日のお客様に笑顔で帰ってもらうことが必要。そのお客様が、また明日のお客様につながるんだと実感しました」

今の繁盛のかたちがあるのは、一緒に店を盛り上げるスタッフ達の存在も大きい。アメフトから学んだチーム作りも黒須氏の大切にするところだ。

 「アメフトは花形のクオーターバックをはじめオフェンスやディフェンスで各種ポジションに分かれている。それをヘッドコーチが的確な指示を出すことで、力を発揮できる。当店は5人体制で営業していますが、私はヘッドコーチのごとく大将としてチーム全体を見る。スタッフの得意・不得意や、その時の状態を考慮して指示を出すことを心掛けています。それは結果としてエンドユーザーであるお客様に跳ね返ってきますから」

黒須氏が考える店主としての心得

黒須氏が考える店主としての心得

01 お客様を笑顔にして帰す

02 アメフト観戦から得たチームワークで店を運営

03 いつまでも挑戦し続ける姿勢

開業から11年目にして チャレンジし続ける

 今後もさまざまなチャレンジを考えている黒須氏。今春からは慶應義塾大学経済学部の通信課程にて経済を学ぶ。さらに東京都の主催する経営革新計画の承認を受けて、新規事業にもチャレンジする予定だ。

「今、私は45才で、60才までやるとしてあと15年。5年間、通信課程で経営を学び基礎を固め、それを糧に後10年でさらに飛躍したい。新規事業では、寿司店とは異なる、よりシステマチックな仕組みで展開できる新たなかたちの飲食店を展開したいと考えています」

NIDO

銀座 くろ寿

住 所:東京都中央区銀座6-7-6 西六ビル2F

電 話:03-3571-4196

定休日:日曜・祝日

時 間:11:30~14:00
18:00~22:30

交 通:各線「銀座駅」より徒歩3分

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文:大関 愛美 写真:yama

2019年05月23日 掲載

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